開催内容詳細

シルクロードとは<T>

シルクロードとは、「アジアと、ヨーロッパおよび北アフリカを結ぶ東西交通路の総称」(長澤和俊氏)となります。世界最大のユーラシア大陸を横断するすべての東西交通路がシルクロードといえるでしょう。その道は大きく3つの道、ステップ路、オアシス路、南海路にわかれ、それぞれが南北につながっていました。

今回は、この講座で主に扱う「オアシス路、長安〜カシュガル」の位置関係などを確認が中心となります。

シルクロードのオアシス都市<T>

秦の時代以来、シルクロードの東の終着駅のひとつとして栄えてきたが、とりわけ唐代の前半は西のバグダードとともに世界で最も繁栄した国際都市・長安(現在の西安)。

シルクロードを西からたどってきた人びとにとっては、中国ヘの入口。西ヘ向かおうとする人たちにとっては、広漠としたタリム盆地に踏みだすための出発点。そんなオアシス都市・敦煌。

この二つの街のご紹介です。

シルクロードのオアシス都市<U>

中央アジア南部はオアシスの民、定住農耕民の生活の場でした。オアシスとは砂漠の中で水の得られる場所、さらにその水を利用して人間が居住できるようにした場所を意味しています。

今回は、天山・崑崙山脈のふもとに位置する新疆ウイグル自治区の代表的な街、「トルファン」「ウルムチ」「カシュガル」「ホータン」についてご紹介いたします。

シルクロードとは<U>

キャラバンの構成員はオアシスから必然的に生まれます。オアシスはその特徴から一定以上に耕地面積を増やすことができないため、そこで農業からはみ出した人びとは特産物をつくったり、特殊な金属を掘るなど、農業以外の産業に従事することになります。そして、それを運んで隣のオアシスとの交易が始まっていきます。そして、沙漠の移動にはラクダは必須です。

ものの広がり

新石器時代から西域と中国との間に東西交易が営まれてきた証拠に、中国各地の遺跡から出土する玉器があります。玉器は紀元前2000年紀の殷墟から多数出土し、「最古のシルクロードは玉の道だった」とさえいわれています。また、アフガニスタン奥地にのみ産出するラピスラズリ(瑠璃)はペルシアを経てイラク、エジプトに運ばれました。

シルクロード仏教美術<T>

シルクロードにおける仏教美術に関する第1回として、敦煌・莫高窟について扱う予定です。

敦煌莫高窟(千仏洞)は、敦煌郊外20kmほどのところにある鳴沙山の断崖に掘られた仏教の石窟寺院であり、そこには全部で734窟の石窟があります。もちろん世界遺産にも登録されており、貴重な仏教美術の宝庫といえます。

シルクロード仏教美術<U>

シルクロードにおける仏教美術に関する第2回として、引き続き、敦煌・莫高窟について扱う予定です。

前回は概略的のことが中心でしたが、今回は5世紀から15世紀、北涼・北魏などの時代から宋・元時代にかけての壁画や塑像など変遷を見ていきたいと思います。

シルクロード仏教美術<V>

シルクロードにおける仏教美術に関する第3回は、さらに敦煌・莫高窟の各窟の壁画・塑像を見ていきます。

そして、敦煌・莫高窟と法隆寺・金堂における共通点にも注目してみたいと思います。

さらに、周辺に位置する西千仏洞や楡林窟などの石窟も見ていきたいと思います。